雨ニ対ヒテ月ヲ恋フ

その時々の想い・考えを書きつづってみる

日本の仏教について③

3.近世の日本仏教の制度化 近世幕藩体制のなかの仏教 「日本の仏教について②」でも述べたように、遁世僧たちは新たな教団を作り、積極的に穢れに関わることによって、神道に組み込まれることのなかった葬送の場面において、力を発揮することとなった。それ…

日本の仏教について②

2. ケガレの意味、穢れに積極的にかかわる仏教 官僧たちがケガレを避けなければならなかったことを理解するためには、日本の信仰にとってのケガレの意味を知ることが重要であると思われる。なぜなら、どのような文化も発祥の地を離れて伝播するとき、あらゆ…

日本の仏教について①

はじめに この論考の課題は、日本仏教についてひとつの見方を提供することで、仏教についての理解を深めるとともに、巷に散見される仏教用語や仏教の知識について補足する点にある(有態に言えば、私の手控えである)。とはいえ、仏教教義の正しい解釈という…

旅先の猫【沖縄2022年編】

む、無防備では?(那覇市) ・・・白目。 道案内っぽい猫どのはときどきいらっしゃるよね(那覇市) くつろぎ猫どの(名護市) ごろんとして、こっち向き。ご尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じ・・・ ちゅ、駐車スペースなんですけど、よ、よろしいでしょうか?(…

歴史散歩【京丹後⑥:遺跡めぐり】

丹後三大古墳のうちで最大の網野銚子山古墳[あみのちょうしやまこふん]は、全長201mで4世紀後半の古墳である。 墳丘は三段で構成され、斜面には葺石、平坦面や後円墳頂上部には約2000個の円筒埴輪が立てられていた。 網野銚子山古墳(後円墳と前方墳のあい…

歴史散歩【福井県③:遺跡めぐり】

実際に一乗谷の一部の街並みが復元されている。 戦国大名の城下町。公家や学者、高僧、連歌師[れんがし]などの文化人が訪れる、高度に発展した町であった。 一乗谷には40ヵ寺の寺院があったという。 紺屋[こうや]・油屋・酒屋・檜物師[ひものし]・鍛冶屋・塗…

歴史散歩【福井県②:資料館めぐり】

一乗谷朝倉氏遺跡資料館。いろいろな資料があったのに、原寸大の朝倉屋敷もすごかったのに、ほぼジオラマしか撮ってないという…。ジオラマが好きなのだ。 一乗谷の復元模型 山側から見た街並み 一乗谷の大通り 暮らしぶり いろんな職人さんの仕事ぶりも復元…

歴史散歩【福井県①:遺跡めぐり 】

一乗谷朝倉氏遺跡の「下城戸跡 [しもきどあと] 」。 巨石で作られている。 下城戸の巨石。 近くに行くと、圧倒される大きさ。 下城戸跡(一乗谷朝倉氏遺跡) 身長165cmの人間を配置してみる。 重ねられた巨石の高さは5~6mくらいだろうか。 当時の人びとが…

歴史散歩【高槻②:遺跡めぐり】

今城塚古墳。ほんとうの継体天皇の墓陵ではないかとされる。 つまり、唯一、一般人が踏み入ることができる天皇陵。 一部には、復元された埴輪が展示されている。 葬送の儀式の再現とか 古墳の模型(古墳に隣接する今城塚古代歴史館で展示されている) 石を積…

歴史散歩【高槻①:遺跡めぐり】

高槻市の史跡新池ハニワ工場公園。 復元された埴輪と、埴輪を作っていた工房と窯跡。 埴輪工房の復元図(こういう写真、うまく撮れない…) 相撲取りの埴輪 祈りをささげる巫女(高貴な人・神の前では拍手[かしわで]をうったとか) 窯のあと 復元された登り窯…

歴史散歩【京丹後⑤:遺跡めぐり】

弥生後期初頭(約2000年前)の三坂神社墳墓群。 意図的に割られた甕[かめ]・壺[つぼ]・高坏[たかつき]などの土器が周囲に撒かれている。大山墳墓群・赤坂今井墳墓などの弥生後期全般の墳墓で見られる、葬送儀礼として独特で興味深い。 三坂神社墳墓群・案内…

歴史散歩【京丹後④:遺跡めぐり】

京丹後の夕日ヶ浦には縄文の浜詰遺跡[はまづめいせき]がある。 浜詰遺跡の復元された竪穴住居 浜詰遺跡の案内板(残念ながら文字が欠けている) 丹後古代の里資料館 浜詰遺跡の復元模型(丹後古代の里資料館)

歴史散歩【京丹後③:遺跡めぐり】

遠處遺跡[えんじょいせき] 遠處遺跡群鍛冶工房跡・案内板 遠處遺跡群鍛冶工房跡 5世紀中葉のニゴレ古墳は径20m、高さ3-4mの小規模古墳であるが、副葬品が豊富。 鉄製の甲冑[かっちゅう]が一揃い、剣や鉄鏃[てつぞく:鉄の矢じり]が舟形木棺から出土している…

歴史散歩【京丹後②:遺跡めぐり 】

神明山古墳案内板 竹野神社 [たかのじんじゃ] のとなりにある神明山古墳 [しんめいやまこふん] は、 全長190メートルの前方後円墳。日本海三大古墳のひとつだとか。 ジオラマで再現された古代の竹野周辺(丹後古代の里資料館・展示資料より) この墳墓は、古…

歴史散歩【京丹後①:遺跡めぐり】

大成古墳群 [おおなるこふんぐん] 立岩を海に向かって左側に見ることのできる大成古墳群。 墳墓のひとつ この古墳群は、6世紀末から7世紀初め、13基の横穴式石室からなる。周辺に見られる柱状節理の安山岩や玄武岩で作られている。出土品は須恵器[すえき]、…