弥生後期初頭(約2000年前)の三坂神社墳墓群。
意図的に割られた甕[かめ]・壺[つぼ]・高坏[たかつき]などの土器が周囲に撒かれている。大山墳墓群・赤坂今井墳墓などの弥生後期全般の墳墓で見られる、葬送儀礼として独特で興味深い。
弥生後期末葉の赤坂今井墳墓。2番目に大きな墳墓(長さ7m×幅4.2m)からは水銀朱と頭から肩にかかる頭飾り(緑色のガラス勾玉、青色のガラス管玉、碧玉製管玉)と、耳飾りが出土。青色のガラス管玉は、兵馬俑で彩色に使われた「漢青[かんせい]」という人口塗料が含まれている。
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赤坂今井墳墓(墳頂部6基、墳裾平坦部19基以上)
時 期:6世紀後半から7世紀初め
形 状:墳丘
大きさ:墳 域(南北51m×東西45m×高さ3.5m)
墳頂部(南北39m×東西36m)
副葬品:緑色のガラス勾玉、青色のガラス管玉、碧玉製管玉、鉄剣など
特 長:墳頂部には葬送儀礼に使用されたと考えられる南北に並ぶ柱穴列
古墳時代の大型古墳(蛭子山古墳・網野銚子山古墳・神明山古墳)が作られた後の古墳。墳長32mで小さな前方部をもつ帆立貝式と呼ばれる古墳。
熟年女性の完全骨格が出土したことから女王の古墳と考えられる。
(思ったよりも小さい)
参考:京丹後市立丹後古代の里資料館、2013、『丹後古代の里資料館展示ガイド 丹後王国の世界』。
文化遺産オンライン「赤坂今井墳墓」(2023/10/25閲覧)