竹野神社 [たかのじんじゃ] のとなりにある神明山古墳 [しんめいやまこふん] は、
全長190メートルの前方後円墳。日本海三大古墳のひとつだとか。
この墳墓は、古代のジオラマでみると、潟湖([せきこ]:英 lagoon)の
すぐ近くに造られたものであることがわかる。
立岩はトンボロ(Tombolo:陸繋砂州[りくけいさす])でつながる。
複数の島がトンボロでつながる場合はTombolo clusterというらしい。
ちなみに、本州最南端の潮岬(和歌山県串本町)はもとは島だったものが砂州によってつながったもの。
後円部埋葬施設は不明。石材の状態から竪穴式石室があったと推定されている。
前方部から出土した椅子形、合子形 [ごうすがた] の滑石製石製品や土師器から
推定される年代は、4世紀末から5世紀初めのものらしい。
竹野周辺が一望できる。
背後の山々も面白い形をしていたのに、写真撮るの忘れた・・・
▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
神明山古墳
時 期:古墳時代前期末から中期初頭(4世紀ごろ)
形 状:前方後円墳(くびれ部分に円形の造り出し)、竪穴式石室(推定)
大きさ:全長190m(後円部径129m、前方部幅78m、高さ27m)
出土品:滑石製の盒[ごう:ふたつきの箱]・坩[つぼ: 小さな壺]をかたどった石製模造品
家形・蓋形[きぬがさがた]などの形象埴輪、円筒埴輪、土師器、
舟をごく人物が線刻されている埴輪片など
参考:京丹後市立丹後古代の里資料館、2013、『丹後古代の里資料館展示ガイド 丹後王国の世界』。