雨ニ対ヒテ月ヲ恋フ

その時々の想い・考えを書きつづってみる

歴史散歩【高槻①:遺跡めぐり】

高槻市の史跡新池ハニワ工場公園。

復元された埴輪と、埴輪を作っていた工房と窯跡。

埴輪工房の復元図(こういう写真、うまく撮れない…)

相撲取りの埴輪

祈りをささげる巫女(高貴な人・神の前では拍手[かしわで]をうったとか)

窯のあと

復元された登り窯

工房(けっこう大きい)

 

うま(顔や耳の角度が違う。個性があってよい)

にわとり
(夜と朝を分かつ時を告げる鳥として理解されていたという話を読んだ気がするのだが)

いのしし

盾(防具としての意味もあるが、魔除けの意味も…)

鎧兜

きぬがさ(高貴な方がたに)

家(大王のものか…)

工場ができる周辺の古墳時代の年表(勉強になる)

歴史散歩【京丹後⑤:遺跡めぐり】

弥生後期初頭(約2000年前)の三坂神社墳墓群。

意図的に割られた甕[かめ]・壺[つぼ]・高坏[たかつき]などの土器が周囲に撒かれている。大山墳墓群・赤坂今井墳墓などの弥生後期全般の墳墓で見られる、葬送儀礼として独特で興味深い。

三坂神社墳墓群・案内板

 

弥生後期末葉の赤坂今井墳墓。2番目に大きな墳墓(長さ7m×幅4.2m)からは水銀朱と頭から肩にかかる頭飾り(緑色のガラス勾玉、青色のガラス管玉、碧玉製管玉)と、耳飾りが出土。青色のガラス管玉は、兵馬俑で彩色に使われた「漢青[かんせい]」という人口塗料が含まれている。

赤坂今井墳墓・案内板

赤坂今井墳墓・模型(丹後古代の里資料館)

土ごと切り取られた赤坂今井墳墓第四墳墓の展示
(丹後古代の里資料館)

頭飾りの復元(丹後古代の里資料館)

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赤坂今井墳墓(墳頂部6基、墳裾平坦部19基以上)

時 期:6世紀後半から7世紀初め

形 状:墳丘

大きさ:墳 域(南北51m×東西45m×高さ3.5m)

    墳頂部(南北39m×東西36m)

副葬品:緑色のガラス勾玉、青色のガラス管玉、碧玉製管玉、鉄剣など

特 長:墳頂部には葬送儀礼に使用されたと考えられる南北に並ぶ柱穴列


古墳時代の大型古墳(蛭子山古墳・網野銚子山古墳・神明山古墳)が作られた後の古墳。墳長32mで小さな前方部をもつ帆立貝式と呼ばれる古墳。

熟年女性の完全骨格が出土したことから女王の古墳と考えられる。

大谷古墳・案内板

移転・展示されている大谷古墳の石室
(思ったよりも小さい)

参考:京丹後市立丹後古代の里資料館、2013、『丹後古代の里資料館展示ガイド 丹後王国の世界』。

   文化遺産オンライン「赤坂今井墳墓」(2023/10/25閲覧)

   https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/174055

歴史散歩【京丹後④:遺跡めぐり】

京丹後の夕日ヶ浦には縄文の浜詰遺跡[はまづめいせき]がある。

浜詰遺跡の復元された竪穴住居

浜詰遺跡の案内板(残念ながら文字が欠けている)

丹後古代の里資料館

浜詰遺跡の復元模型(丹後古代の里資料館)

歴史散歩【京丹後③:遺跡めぐり】

遠處遺跡[えんじょいせき]

遠處遺跡群鍛冶工房跡・案内板

遠處遺跡群鍛冶工房跡

 

5世紀中葉のニゴレ古墳は径20m、高さ3-4mの小規模古墳であるが、副葬品が豊富。

鉄製の甲冑[かっちゅう]が一揃い、剣や鉄鏃[てつぞく:鉄の矢じり]が舟形木棺から出土している。

墳墓から出土した形象埴輪には、家形・椅子形・甲冑形・舟形がある。舟形埴輪は、外海を航行したであろう準構造船の模したものと思われる。

ニゴレ遺跡

鉄製甲冑(複製品:丹後古代の里資料館蔵)

奥:舟形埴輪  中央:埴製枕  手前:石棺
(丹後古代の里資料館蔵)

ニゴレ古墳・案内板

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ニゴレ古墳

時 期:5世紀中葉

形 状:不整形墳

大きさ:全長径20m×高さ3-4m

副葬品:鉄製甲冑(遺骸頭部側)、剣(左側)、鉄鏃束(足元)

出土品:甲冑・船・椅子・家を写実的にかたどった形象埴輪

特 長:先行する奈具岡北1号墳(→ Google マップ )は朝鮮半島との

     関係が推測され、国内最古級の製鉄工房である遠處遺跡もあることから

     金工技術の伝来などを推定させる遺跡である。

 

二重の環濠を巡らせた高地性の集落跡、扇谷遺跡。

扇谷遺跡・案内板

参考:京丹後市立丹後古代の里資料館、2013、『丹後古代の里資料館展示ガイド 丹後王国の世界』。

歴史散歩【京丹後②:遺跡めぐり 】

神明山古墳案内板



竹野神社 [たかのじんじゃ] のとなりにある神明山古墳 [しんめいやまこふん] は、

全長190メートルの前方後円墳日本海三大古墳のひとつだとか。

ジオラマで再現された古代の竹野周辺
(丹後古代の里資料館・展示資料より)

この墳墓は、古代のジオラマでみると、潟湖([せきこ]:英 lagoon)の

すぐ近くに造られたものであることがわかる。

立岩はトンボロ(Tombolo:陸繋砂州[りくけいさす])でつながる。

複数の島がトンボロでつながる場合はTombolo clusterというらしい。

ちなみに、本州最南端の潮岬(和歌山県串本町)はもとは島だったものが砂州によってつながったもの。

 

後円部埋葬施設は不明。石材の状態から竪穴式石室があったと推定されている。

前方部から出土した椅子形、合子形 [ごうすがた] の滑石製石製品や土師器から

推定される年代は、4世紀末から5世紀初めのものらしい。

神明山古墳の頂上からは立岩が見える

竹野周辺が一望できる。

背後の山々も面白い形をしていたのに、写真撮るの忘れた・・・

 

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神明山古墳

時 期:古墳時代前期末から中期初頭(4世紀ごろ)

形 状:前方後円墳(くびれ部分に円形の造り出し)、竪穴式石室(推定)

大きさ:全長190m(後円部径129m、前方部幅78m、高さ27m) 

出土品:滑石製の盒[ごう:ふたつきの箱]・坩[つぼ: 小さな壺]をかたどった石製模造品

    家形・蓋形[きぬがさがた]などの形象埴輪、円筒埴輪、土師器、

    舟をごく人物が線刻されている埴輪片など

参考:京丹後市立丹後古代の里資料館、2013、『丹後古代の里資料館展示ガイド 丹後王国の世界』。

歴史散歩【京丹後①:遺跡めぐり】

大成古墳群 [おおなるこふんぐん]

立岩を海に向かって左側に見ることのできる大成古墳群。

墳墓のひとつ

この古墳群は、6世紀末から7世紀初め、13基の横穴式石室からなる。
周辺に見られる柱状節理の安山岩玄武岩で作られている。
出土品は須恵器[すえき]、土師器[はじき]、刀剣、鉄鏃[てつぞく:鉄の矢じり]、碧玉製管玉[へきぎょくせいくだたま]、瑪瑙製勾玉[めのうせいまがたま]、ガラス小玉、金環。

大成古墳群からの立岩

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大成古墳群(16基以上からなる)

時 期:6世紀後半から7世紀初め

形 状:横穴式石室(7号墳…片袖式、8号墳…両袖式、9号墳…無袖式)

大きさ:最大の8号墳 玄室長4.5m×幅2.5m

副葬品:須恵器、鉄製武器、玉類、耳環など

特 長:墳墓のある台地を形成する安山岩(柱状節理をもつ)

 

参考:京丹後市立丹後古代の里資料館、2013、『丹後古代の里資料館展示ガイド 丹後王国の世界』。